2019-01-14

香港に住んでいました

こんにちは。りりこです。

 

昔、香港に住んでいました。

神田にあるコンピュータ販売会社を退職しようと考えていた時、社長から香港支社に行かないかと提案されたのです。

面白そう!と意気揚々と海を渡りました。

その年は、天安門事件があった翌年でした。

 

香港支社の社長は、香港人のキャリーという30代半ばくらいの女性、他に20代の香港人のマークやケビンなど男性社員が数人、

現地採用された日本人の男子も一人いました。

ちなみに、このころはまだ香港はイギリスの植民地で、皆、中国名の他に、イングリッシュネームを持っていました。

 

職場のみんなとはすぐに仲良くなり、遠い異国に一人で来た私を淋しかろうと、休日はマカオやランタオ島に、

平日の夜はカラオケや食事に連れ出してくれ、楽しい日々が続いていました。

 

特に、香港に来て何が最高だったかと言うと「食事」です。

これが、美味しいのなんのって。しかも安い!

そのころは、日本で中華を食べると、銀座アスターなら一人1万円の時代。

中華街ならもう少し安いとは思いますが、あまり行く機会はなかったので、中華は人に奢ってもらうものと思っていました。

しか~し!

香港なら、北京ダックやらフカヒレスープやら色々食べて一人2000円くらいだったかと。

しかも、屋台ではなく、きちんとしたレストランです。

▲北京ダックは5人前で3000円くらい

美味しいのは中華だけではありません。イタリアンもフレンチも、インド料理も和食も(和食は高かった)。世界中の人々が集まってくる場所だったからでしょうか?

レベルは今の東京に匹敵すると思います。だから1年で5kg太った・・・。

▲さまざまなフォルムで登場するどでかいマンゴプリン

土曜日は出勤でしたが午前中で退社。ランチは、皆で飲茶を食べに行くのが香港人の習慣らしく、私も郷に入れば郷に従えと便乗。飲茶のレストランは、それはそれは広々としていて、500人くらいは収容できる部屋だったと思います。

ただし、私は飲茶は苦手。特に、鶏肉の手が指つきで出てくる料理はいただけなかった。あまりにもリアルでグロテスク・・・。

▲ゴージャスなスープ

私の仕事はというと、日系企業や日本人のビジネスマンにパソコンを販売し、セットアップや使い方を教えるインストラクターみたいなことをしていました。

ある日、日本人のビジネスマンがショールームに訪れ、パソコンの調子が悪いと相談してきました。状態を見ると大した問題ではなく、すぐにその場で直すことができたので、料金は受け取りませんでした。

彼を見送って振り返るとなんとキャリーが険しい顔で仁王立ちしているではありませんか?

「な、なに?」

「なぜ、お金、もらわないですか?」

いやいや、カチンときたぜ。

「だって、あんなの故障のうちに入らないし、サービスしておけば、いつかコンピュータを買ってくれると思いますよ」

「香港にはいつかなんてありません。今日しかないです。今度から絶対にお金もらってください」

香港に、なぜ「いつか」はないのか?

その夜、マークやケビンと飲みに行き、その理由を問いました。

「香港は、またいつ天安門事件みたいなことが起きるかわからない。だから、今日しかないんだ。明日、何かがおこるかもしれない。それが香港なんだ」

友だちは次々と、カナダやシンガポールへの移住を始めているそう。

マークやケビンも他国への移住を考えていると。

▲毎晩、みんなで円卓を囲んで食事をしていました

 

明日がない国……。

衝撃でした。

 

日本では考えられないですよね。

政府が国民に銃を向ける、なんてこと(絶対ないとは言い切れませんが)。

明日が来ることを信じることができない。

そんな人生を送っている人達が眼の前にいる。

▲帰国前にみんなが送別会をしてくれました。たぶん、みんなで何かを唱和している

帰国してから、マークが友達と一緒に日本に遊びにきました。一日だけ東京に泊まって翌日はスキーに行くと。私はどこに連れて行けばよいかわからず、そのころ好きだった吉祥寺に繰り出しました。焼き鳥を食べて、その後はジャズのライブバー「Sometime」へ。特にジャズファンではないのですが、雰囲気が好きで時々通っていた店。今でもあるようです。

ジャズの生演奏を聴きながら、たばこの煙をくゆらせバーボンをちびちび舐める。オヤジか!?

まだ20代の女の子なのに私ったら(笑)。

マークと肩を寄せ合いポツポツと何か話した記憶がありますが、内容は忘れてしまいました。覚えているのは、二人は同じ20代でバカ話に笑うごく普通の男子・女子なのに、国籍が違うだけでこんなにも生きることへの不安の重さにギャップがありすぎるってこと。

彼の方が、圧倒的に重苦しい鉛のような不安を背負っている人生。それにただうろたえるだけの私。

 

偶然にも、二人で行ったジャズバーの名は「Sometime=いつか」。キャリーが香港には存在しないと言った「いつか」。

 

この言葉、私の生き方に少ならず影響を与えたのは確かです。

いつかはない、今しかない。

だから、今を全力で生きるしかない。

いつ、死んでもいいように。

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