発達障害を、個性に、強みに生きてきた chapter5
第五回
オーバータスクの大学時代、“よしな”がわからないOL生活
大学は心理学科を専攻。
授業では、心理学の教科書を読み取っていく。
すると、友人たちから、ADHDの症状が私の性格にそっくりだと言い出した。
話し始めると止まらない。
物事を整理しようとすると何が要点かわからなくなる。
集中しすぎて授業が始まっているのに気づかない。
用事を詰め込みすぎて、完全にキャパオーバーの日々を過ごしていたのもADHDの典型的な症状だったのだろう。
アナウンス研究会、茶道愛好会、テニスと部活を3つ掛け持ち。
夏合宿にお金がかかるのでバイトも3つ。
教職もとり、120くらい取れば良い単位も上限申請をして200以上とろうとしていた。
月~土まで学校に行き、朝までテレビ局でバイトをして、そのまま学校に行くという日々。
3日くらい寝ないなんていう日もざらだった。
その起因は、行きたくない大学に入ったことで、それを肯定化したかったこと、高校時代に付き合っていた彼と別れ、忘れたかったというのもあった。
大学卒業後の進路は、臨床心理士の資格を取得するために大学院に進むか迷っていた。
誰でも行けるカウンセリングルームを作りたいという夢があったから。
でも、就職して早く社会人経験を積んだ方が得策だろう。
2008年みずほ銀行に入行した。
大手銀行での経歴は、その後の人生に何かと有利に働く気がしたからだ。
また、臨床心理士よりコーチングの資格を取りたいという気持ちに変わり、アフターファイブの時間に勉強しようと、定時で帰れる一般職を希望した。
仕事では、やはりいろいろトラブルがあった。
空気を読まないので人を傷つけるようなことを言ってしまう。
飲み会で大騒ぎする。
ルーチンワークは早く人の二倍は仕事をするのだが、「よしなにやって」という指示は途端にわからなくなり、相手の要望に応えられない。
それでも友香里は、楽しかったんです、と振り返る。
26歳、典型的なADHDと診断
友香里は、就職して間もなく、友人の家でたまたまADHD診断の病院の広告を目にした。
その場で、チェック診断をしてみたところ、ほとんどの項目があてはまった。
早速、病院に向かった。
診てもらったのは巣鴨にある「ひもろぎ心のクリニック」。市谷にもある。
http://ichigaya.himorogi.org/medical_treatment_p_m/adult_adhd/
診断は、問診、心電図、尿検査、尿中薬物検査、血液検査、血中薬物濃度測定などで、小学校の通知表も持参した。
結果は、典型的な「ADHD(注意欠陥/多動性障害)」だった。
診断にあたって、性格なのか障害なのか?という見極めは、小学生のころからADHDの症状があったかどうかにあるようだ。
通知表を見せるのもそのため。
そして、3つの型に分かれる。
1つ目は、不注意優勢型(注意力に欠けケアレスミスが多い、忘れ物が多く片付けが苦手、ルーチンワークが苦手)。
2つ目は、多動・衝動性優勢型(落ち着きがなくイライラしやすい、周りの空気が読めずしゃべり続ける、目先の楽しみを優先する)。
3つ目は、両方の症状を示す混同型。
友香里は、多動・衝動性はないと思っていたが、診断結果は混合型だった。
ADHDの人は生きにくさを感じ続けることから鬱病になってしまう人が多い。
でも、友香里は鬱病を併発していなかったので、医師に珍しいと言われた。
「単品ADHDでした(笑)。子どものころから生きていく上で、いろいろ困ることはありましたが、それで落ち込むことはなかったのです。それは環境のおかげだったと思います」。
クリニックには16回通い、2年間の約束で治験薬を飲み治療した。
でも、治験期間が終わると薬の値段が高くなるので終了とした。
続く
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