発達障害を、個性に、強みに生きてきた chapter1
<プロフィール>
板谷友香里
30代女性 sopa.jp
理事兼事務局長千葉県出身。
大学卒業後「みずほフィナンシャルグループ」に就職。26歳のとき、医師から発達障害(ADHD)と診断を受ける。2010年に退職後、NPO法人「sopa.jp」を立ち上げ、現在、さまざまなプロジェクト、イベントを開催中。
26歳、典型的なADHDと診断
思い返すと、個性的な子どもでした。
一度手に入れたいと思ったことは、達成するまで一歩も引かない子。
話し始めると止まらない子。
集中しすぎて、約束を忘れてしまう子。
成長するうちに、もしかして・・・と思っていました。
「発達障害なのでは?」
26歳のときにクリニックで受けた医師の診断は予想通りでした。
「典型的な発達障害です。ADHDです」
その言葉に安心しました。
理由がわかったのだから、あとは対処法を考えればいいだけ。
私から出てきたのは、シンプルな答えのみ。
これまで、いろいろ困ることはあったけれど、
それで悩んだり落ち込んだりすることはありませんでした。
なぜなら、両親がありのままの私を受け入れてくれたから。
学校では、先生や友だちが個性と受けとめてくれたから。
そして、発達障害を障害ではなく、「個性」として活かせばいいんだ。
今、心からそう思って生きています。
自分の欲求をひたすら満たしたい子ども
NPO法人「sopa.jp」の理事兼事務局長である板谷友香里。
その活動の一つに、小学生を放課後や土日に預かる、いわゆる「アフタースクール」の立ち上げ、運営がある。
「そこで、一日200人くらいの子どもたちと会うのですが、彼らを見ていても、幼少期の私ほど手のかかる子はいなかったと思います」。
数十年前の自分に想いを馳せるように話す友香里。
実は1歳ごろのことを鮮明に覚えているという。
ある天気のよい昼下がり。
1歳の友香里は母に連れられ、家から歩いて30分ほどの公園に出かけた。
すると、年上の子たちが遊具で遊んでいる。
公園にも、子どもたちの間にヒエラルキーがあるのだろうか?
幼い友香里は仲に入れてもらえず、遊具で遊ぶことができない。
どうしても遊具を独占したい・・・。
泣き叫ぶ友香里は、母にたしなめられ仕方なく家路に着く。
その欲求は、夜になっても心の中でどんどん膨らみ、いてもたってもいられない。
そこで思いついた。
夜中に行けばみんな寝ているから遊べるかも。
友香里は母や父にねだった。
「夜中の12時や1時ごろに公園に連れて行って」
公園は徒歩30分もかかるうえ、森の中を通っていく。
夜になると真っ暗で大人でも心細くなる道のりだ。
当然、両親は
「また、明日、昼間に行こうね」と説得。
すると友香里は、火が点いたように大声で泣き叫んだ。何時間も。
泣き声は尋常ではなかった。
隣近所にも響きわたり、向いの家の主婦が様子を見に来る始末。
虐待では?と心配しているのだ。
両親はとうとう音を上げ、毎夜毎夜、彼女をおぶって暗い道のりをとぼとぼと歩き、公園に通った。
友香里は、このように、とにかく自分の欲求が満たされないと、
かんしゃくを起し泣き叫ぶ子どもだった。
もちろん、子どもだったら誰でも多かれ少なかれこのような行動はあるだろう。
でも彼女の場合は、極端だった。
なぜか?
当時はそういう性格なんだと誰もが思っていたが、後に判明。
ADHDの典型的な症状だったのだ。
ただ両親は、友香里のことを変わった子だとか、
おかしいとか否定するような言葉を発したことは一度もなかった。
そのおかげか、彼女は自己肯定感をしっかり育んでいった。
続く
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