2018-10-30

OLから女優に転身で壁超え! chapter5

<仕事編>

第三回

第二回

新たなる挑戦へ

 

女優を始めて二十年程の時が流れたころ、師匠であるSが亡くなった。

麻世にとって大きな痛手だった。

「いい役者になったな」と言ってほしかった・・・。

 

それから数年後、NHKの事務所が閉鎖となった。

他の事務所を探す気力も失せ、これからどうすべきか思いあぐねていたある日、

ふとある言葉が頭に降りてきた。

 

「人を癒したい」

 

麻世には、よくあることだった。

いわゆる何の動機もなく、降りてきた言葉に従って直感で行動するのが常だった。

 

思い立ったら吉日。

麻世はすぐに、マッサージやエステのスクールを探した。

 

条件は、

仕事をしながら通えるフレックス制、

既に40歳を過ぎていたので、若い子たちと大勢で新しいことを学ぶのはきつい、

だから少人数制。

通いやすい都内にあること。

3つの条件を満たすのは唯一、表参道にある『ハワイアン・ロミロミ』のスクールだった。

 

その日は3/31。

麻世は学校を調べるために夜の9時頃、パソコンを貸してと、友だちの家を訪ねた。

その学校のHPを開けると、4/1から受講費が3万円UPすると告知が。

麻世は、そんなに上がるならと慌てて電話をした。

 

「入学を申し込ます」

 

ハワイアン・ロミロミは、施術者自身が疲れない、類まれなものだと後に知った。

麻世は、学校を卒業すると、一般募集をしていたサロン、先輩経営のサロン、レンタルサロンの3本立てで働き始めた。

 

やがて、お客様も徐々につくようになり軌道に乗ると、自分でサロンを経営したいと思うようになった。

 

すると、ふっと「銀座」という言葉が降りてきた。

銀座は家賃も高いし、なぜ銀座?

それでも、仲の良い女性社長主催の交流会で「私は銀座でサロンを開く」と話したり、

ブログに「銀座のほろ酔いセラピストです」と書いていたりしていた。

 

 

そうこしているうちに、女社長に「紹介したい人がいる」と言われた。

彼女は、ホテルにサロンなどを出店するプロデューサー。

麻世は、そんな話は身の丈に合わないと断った。

なのに、再び彼女と会うことになり、いつの間にか、不動産屋の物件をふたりで見に行くことになった。

 

東銀座駅から1分の手ごろな物件が見つかった。

だが、そこは予算より5万円高い。

迷っていると、シェアして借りたいという人が現れ契約へ。

でも土壇場で、その人は何らかの理由でキャンセル。

 

麻世は焦った。大丈夫だろうか?でも後には引けない・・・。

これまでのお客さんを呼び、無我夢中で働いた。すると、すぐに黒字に。

 

さらに、1年後にはインストラクター資格を取りにハワイに年に1~2回通うと、すぐに、学びたいという人が現れ、生徒さんが待ってくれていた。

今は、開業当初に比べ桁違いに売上は伸びている。

 

そして近年、サロン運営、セラピスト、コーチング講師、インストラクターという多彩な顔を持ち事業を展開。

その中で、麻世にしかできない、オンリーワンのコーチングプログラムを開発、完成させた。

 

役者時代に経験した俳優訓練は私が体感したとおり、自分を解放できるよいmethodだった。

だが副作用がある。

 

それは、洪水のように感情が噴出しとても苦しい思いをすること。

その感情をコントロールできるセルフコーチングのmethodを開発し、

俳優訓練のmethodと組み合わせたのが、新しいプログラムだった。

 

オンリーワンの仕事をしたい、オンリーワンの自分になりたい。

 

OL時代、頭の中を駆け巡っていた切なる願い。

いつの間にか、叶えていた。

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